『生活の批評誌』を編集する依田那美紀さんが、女性であることを考えながら綴った8つのエッセイを収めた一冊です。
前作「シスターフッドって呼べない」から4年をかけ、”私が必死に見たいようにしてきたもの。ないものにしてきたものは、まだあった”ということを冷静に見つめ続けた末、”自分の記憶とイメージのさらに奥の奥を潜って作った白状の記録”としてできあがったのが本書です。
前作よりボリュームも増え、読み応えたっぷりな内容となっています。
A5/52ページ
(以下、公式インフォより)
目次
・「くん」づけしあった日
・さくらももこにすがって生きていた
・ハガキ職人の夢
・からだを忘れる
・尺八を吹く「おもしれー女」
・私を興奮させる「シス呼べ」な女たち 『スキップとローファー』 編
・否定形のフェミニズム
・「女でありたくない」をただ生きること
私は大変だった。そう口に出してみたら、やっと見えてきたことがあった。
私の中にある、女を憎み、女を遠ざけ、女を突き放してきた「女ぎらい」の歴史。フェミニストとして生きるためには、足早に「シスターフッド」を語るのではなく、なによりこの自分のミソジニーと正面から向き合わなければならないと思った。
だから私は、女ぎらいの記憶の断片を書き起こした。それらを「ミソジニー」という一言でくくって、2019年にzine「シスターフッドって呼べない」を作った。
フェミニストこそ、自身のミソジニーと向き合わなければならない。その確信は今でも揺らいでいない。けれど次第に、どこかかみあわない感覚を覚えるようになった。「ミソジニー」。この言葉の隙間から、こぼれおちている記憶があることに気付かされたのだった。この一言で、あの記憶も、この記憶も、全てくくってしまってよいのだろうか。私が必死に見たいようにしてきたもの。ないものにしてきたものは、まだあったのだ。
1号発行から4年、自分の記憶とイメージのさらに奥の奥を潜って作った白状の記録。