植本一子「ここは安心安全な場所」

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1,500円(税込1,650円)

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写真家・文筆家として活動する植本一子さんによるエッセイ集です。

植本さんが数年通っているという岩手県遠野市という土地と、そこにいる馬たちについて、その場所で過ごす時間がいかに自分にとって大事かを書き綴っています。

その場はワークショップで、毎回違うメンバーが馬たちの世話をして過ごすようです。お互いが何者であるかは基本的には問われず、必要な作業以外は思い思いのことをしていいようで、そこでの特別な時間のことが書かれています。

馬のそばで過ごす静かな時間の中で、自分をじっと見つめ、重荷や苦しさから解放されていく心地よさと少しの寂しさが漂う8遍のエッセイと詩と、エッセイの中に「とくさん」として登場する徳吉英一郎さんの寄稿文で構成されています。

B6変形/168ページ


(以下、公式インフォより)
あなたとわたしの現在地をみつめる
植本一子のエッセイシリーズ
(わたしの現在地)
早くも第2段の登場です

今回のテーマはここ数年通っている遠野のとある場所と馬についてです。
ふいに出会えた場所、人、そして馬たちが、わたしのその後の人生を変え、そして支えることとなりました。本には8遍のエッセイと、詩を1つ書きました。
さらにこのエッセイ集の主要人物であるとくさんこと徳吉英一郎さんに寄稿文をお願いしました。


「自分自身で生きる」とは、どういうことだろう。
馬たちと過ごす静かな時間のなかで、わたしは少しずつ自分を取り戻していった。
葛藤を抱えながら生きてきた心と、変わっていく内面を見つめた、小さな旅の記録。

偶然のように現れた、ギフトのような人や場所。この出会いがあったからこそ、わたしはひとりで歩き出す準備が整ったのだと思う。(本文より)
 

わたしの現在地(2)
『ここは安心安全な場所』

目次
北へ向かう
山の一日
とくさんと馬たち
自己紹介をしない
夜眠れない人
生きる才能
ひとりになること
とくさんへ
あとがき 自分を支える

寄稿
無名であること。無名になること。無名と有名を往還すること。
徳吉英一郎


2025年6月14日 初版第一刷発行
著者 植本一子
寄稿 徳吉英一郎
装丁 川名潤
校正 松井真平
協力 柴山浩紀
印刷 株式会社イニュニック

発行者 植本一子

168ページ
B6変形

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 植本さんの言葉が今までの本とは少し変わったような、視野が開けたような感覚があり、一緒に物事を考えられるようなスペースを感じます。
熊谷充紘(twililight店主)

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言葉を駆使してもう一度馬に会いに行っているのでしょう。
実際の馬に近づいているときと同じ慎重さがここにはあります。
その歩調に合わせて私もゆっくり読みました。
太田靖久(小説家)

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 一子さんが岩手の遠野という地へ導かれるようにして出かけていき、そこで馬や大切な人たちに出会い、そしてこうして通うようになったことは、きっと必然だったのだろう。
 不安で、傷ついて、怯えて泣いている。そんな小さな子が荷物を背負い、はじめて一人で旅に出る。行きたいと思った北の方向へ、自分の意思と足で出かけていく。その先で、心がほぐれていく景色や仲間に出会う。最初は怯えて小さくなっていたその子も、いろんなものを受け取るうちに、やがてのびのびとただそこに存在することができるようになっていく。それまで知らなかった、そのままの自分に出会い直す。今は少し距離があるけれど、本当は大切で好きな場所のことも思い出す。そういう贈り物を自分の手で掴むことができたのは、一子さんが特別だったからというよりも諦めない人だったからではないか。人はきっと、変わりたいと思ったらいつからでも変わることができる。
 一子さんがこれまで懸命に生きてきた日々を、本を通して追ってきたからだろうか。一読者としても、一子さんが大切な場所に出会えたことは自分のことのように嬉しくなる。
大河内紗弥加(common house店主)

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 植本一子によるエッセイシリーズ『わたしの現在地』の第二弾は「馬と植本さん」という、パッとは想像がつかないテーマだ。岩手県の遠野を訪れている様子は、SNSでたまに拝見していたが、まさか一冊まるごと「馬の話」とは思いもしなかった。その意外性もあいまって、新境地へと達した「エッセイスト・植本一子」の本領が発揮されている一冊と言えるだろう。
 冒頭、映画のワンシーンのように淡々と遠野へ向かう描写から始まる。車窓の景色や気温、身体の感覚などが手に取るように伝わってくる、描写の粒度の細かさに圧倒される。そこから流れるように遠野での暮らし、馬との出会い、触れ合いが綴られていくのだが、そこには知らない豊かな世界が広がっていた。植本さんの作品の魅力として、誰もが経験する日常を、信じられない解像度で描いている点が挙げられるだろう。今回は多くの人にとって非日常な「馬」というテーマではあるが、解像度はそのままに、門外漢にも分かりやすく、馬を通じた生活と植本さんの思考が展開されていく。
 実際、どんな馬なのか。その姿は、植本さん自身が撮影したフィルムの写真で確認することができる。表紙を飾る馬の写真を含めて、圧倒的な存在感に心を射抜かれた。我々が「馬」といわれて想像する見た目は多くの場合、競走馬のように整えられた姿だろう。しかし、植本さんが訪れた場所で暮らす馬たちはまったく異なる。金色の長いたてがみをなびかせた、その野生味あふれる立ち姿がとにかくかっこいい。実際、この馬たちは、馬房にも入れず、人間が求める役割から降り、なるべく自然に近い状態で生きているらしく、そんな形で存在する馬の凛々しさに目も心も奪われたのであった。
 写真でグッと心を掴まれた上で、植本さんがいかに馬に魅了されているか、馬との関係について丁寧に言葉を尽くしている文章を読むと、臨場感が増し、まるで自分自身が遠野の大地に立ち、馬と向き合っているかのような感覚になった。それは馬に関するルポルタージュのようにも読めるわけだが、馬との関係や、ワークショップで過ごした内容を含めて、内省的な考察が展開していく点が本書のユニークなところである。
 人間は他者と関係を構築するとき、どうしてもラベリングした上で、自分との距離を相対的に把握していく。そのラベルでジャッジし、ジャッジされてしまう。SNS登場以降、ネット空間ではラベルがないと、何者かわからないので、さらにその様相は加速している。しかし、そのラベルが失われたとき、人は一体どういう存在になるのか?そんな哲学的とも言える問いについて、馬とのコミニュケーションを通じて思考している様子が伺い知れる。
 馬との関係においては、自分がどこの誰かといった背景は一切関係なく、接触しているその瞬間がすべてになる。人間の社会ではどこまでもラベルが追いかけてくるが、動物と関係を構築する際にはフラットになる。さらに犬や猫といった愛玩動物と異なり、馬はリアクションが大きくないらしいのだが、そこに魅力がある。つまり、現代社会では「インプットに対して、いかに大きなアウトプットを得るか」が重視され、余暇でさえコスパ、タイパと言いながら、効率を求めていく。しかし、馬や自然はそんなものとは無縁だ。その自由さは私たちが日々の生活で忘れてしまいがちなことを言葉にせずとも教えてくれるのだった。
 夜、馬に会いに行く場面は、その象徴的なシーンだ。祈りに近いような気持ちで馬を探しにいくが、馬は何も語らず、大きなリアクションも返さない。ただそこにいるだけ。それなのに、言葉では伝えきれないような安心感や包容力の気配を確かに感じる。そんな馬という「写し鏡」を通じて、自分という存在の輪郭を静かに確かめる。そんな自己認識の過程は、近年の植本さんのテーマでもある「自分の在り方」をめぐる探究と共鳴していると言えるだろう。
 と、ここまでそれらしいことを書いてきたのだが、巻末にある徳吉英一郎氏による寄稿が本書の解説として、これ以上のものはないように思う。遠野で個人としても馬を飼い、暮らしている方による「記名論」とでもいうべき論考は刺激的だ。特に、怖れ、恐れ、畏れ、怯えとの関係は、ゼロリスク型の管理社会全盛の今、言われないと気づけない大事なことが書かれていた。
写真と文章、両方の技術と感性を持つ植本さんだからこそなし得た新しい表現がここにある。本書を通じて、多くの読者が、自分の「現在地」を見つめ直すきっかけになることを願ってやまない。
Yamada Keisuke(ブロガー・ポッドキャスター)