ライターとして活躍するサトーカンナさんによる、17日間の日記をまとめた一冊です。
共に生活するパートナーと離れて過ごす17日間。サトーカンナさんは、いつもいる相手がいないことで、相手と、その人と暮らす自分を見つめ直すことになります。
その場にいない人のことを想像するということの寂しくもあり、幸福でもあるような感覚が穏やかな文章で綴られています。
A5/72ページ
(以下、公式インフォより)
東京のマンションにふたりで住みはじめてからはじめて17日間も会わず、それぞれ旅に出たり日常を暮らした。誰かといて、ひとりでいて、ときどきあなたの不在を思い出す日記。
2023年7月29日
「いつも目が覚めたとき“ここはどこ?”みたいにあたりを見回すね」と私を笑うのは、あなたが毎日先に起きている何よりの証拠だ。しかし今日ばかりはちがう。旅の日らしく、アラームの15分前に私の目はひらいた。
家事で傷つけるとか出先でなくすのがこわくて結婚指輪をつけないでいることが多いが、17日間も離れて過ごすというのは10年と半年の付き合いのなかでもしかすると一度もなかったかもしれず、なんとなく装着して出た。
東京の隅にある大学の社会学部のゼミで一緒だった友人Aと新幹線に乗り、もうひとりの友人Kの住む広島へ向かう。
私は移動が好きだ。移動中は自分を圏外扱いしており誰かに連絡を返さないでもいいと思っている。そしてただ同じ格好で座っているだけなのにどんどんと周りの景色のほうが変わっていくのがなんかお得だ。「世界は変えられない、自分を変えよ」的な教訓に擬似的に逆らうようでお得だ。
福山駅につくとKが車で迎えにきてくれた。
いまだに友だちが車を運転できることに対し新鮮な気持ちが訪れる。私自身が免許をもっていないし東京で車が不必要な暮らしをしているからか、車は大人のひとが運転するものという子ども時代のイメージがアップデートされていない。
Kは別の友人をふたり連れてきていた。彼らにははじめて会うが、じつは私たちと同じ学部の同期だという。私たちが出たのは小さな大学なのに、広島県にぐうぜん3人も集まっているなんて。
みんなでランチを食べる。そこに集まった全員が社会学部出身なのもあってか、初対面とは思えぬまったく違和感のないコミュニケーションに感動した。初回からこんなに受け容れられていいのだろうかと不安になるくらいだ。
ランチの後は初対面のふたりと別れ、AとKと買い出しをしながら宿泊先へ向かった。酒屋、八百屋、肉屋、牡蠣を売るお店。
どこに立ち寄ってもKは地元の方々から「おっ、Kちゃん」と話しかけられ軽妙なトークをする。牡蠣を買った店に関しては、休業のところをKが「東京から友だちが来てて」とお願いして開けてもらいありがたかった。
その様子を見てAと私は何回もすごい、すごいとほめたたえた。Kは大学を出た後にやってきたこの町をすでに居場所としている。完全にこの土地の人だ。
今回の宿泊先もKのつてで地元の方の別荘を借りることになっており、頭が上がらない。
夜はKの夫も別荘まで来てくれ、海の見える庭でバーベキューをした。さっきの牡蠣がうまい。「惑香(まどか)」というおしゃれな名前のブランド牡蠣で、つやつやの身がきれいだ。
だらしない私が何も動かなくてもバーベキューは滞りなく進む。みんな大人だ。というか今日会った全員が圧倒的に思慮分別のある大人だった。もう30代なんだから、当たり前なんだろうか。
あなたともよくそのことを話すね。スムーズに生きる術を身につけ発揮する人たちのありさまを報告して「みんなすごいね」としきりに感心し、なぜか自分たちは同じ舞台上に立ちきれていないことを確かめあう。
そのとき私は人であることから離れ、われわれがただいっぴきの動物であることを確認できる気がして安心する。
遠くで花火大会が開催されているらしく、小さく重い打ち上げ音だけが聞こえる。新幹線、海、バーベキュー、花火、新しい人たちとの出会い。急に夏が勢ぞろいで迎えにきて、手を引かれてサンダルをつっかけ外に飛び出したような日だ。