工藤正市「青森 1950-1962 工藤正市写真集」

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3,600円(税込3,960円)


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(公式から引用)

工藤正市は1929(昭和4)年青森市生まれ、2014年に84歳で亡くなった写真家である。
生まれ育ち、一生を過ごした青森の風景と人々を仕事の合間に撮りつづけ、1950年代にいっときカメラ雑誌に投稿したほかはだれにも見せることなく、家族にすら知らせないまま一生を終え、没後になって家族が膨大なネガの束を発見。スキャンした画像をInstagramにアップしたところ世界的な反響を呼ぶようになった、ヴィヴィアン・マイヤーにも通じる「発見の物語」である。
それはよくある「昭和の懐かしい青森」みたいな記録写真でもなければ、1950年代に土門拳らが提唱したリアリズム写真による問題提起の試みでもなく、同時期に華々しい活動を展開した同郷の小島一郎のような、青森の厳しさを暗室作業によって演出する作家性を前面に出した写真でもなかった。
ただ、身の回りにある日常の小さな喜びや幸せや寂しさ哀しさの瞬間を切り取ること。それが地元の人間には「貧しさの強調」に見えたり、東京の写真界には「青森の貧しさが足りない」と映ったのかもしれない。そしてその根底には、いまでは想像もできない、かつての東北に対する東京人の強固な偏見、差別意識があったはずだ。「青森をこう見せたい」という地元の思いにも、「青森をこう見たい」という東京の先入観にも与せず、「どこにも属さなかった」工藤正市がみずから封印した写真群が、半世紀を経たいま甦る奇跡。
「この時代だから」でもなく、「青森だから」でもなく、ここにあるのは人間のいとなみそのものだ。時代を超え、場所を超え、工藤正市の写真は70年前も、いまも、70年後の未来にも変わることがないはずの、静かで、揺るぎない「ひと」を僕らに見せてくれる。
――都築響一(写真家・編集者)

著者プロフィール
工藤正市 (クドウショウイチ) (著/文)
工藤正市(くどう・しょういち)
昭和4年(1929)青森市生まれ。旧制中学校を卒業後、昭和21年(1946)に東奥日報社に入社。
昭和20年代中頃から写真雑誌の月例コンテストや写真展へ応募した作品が高い評価を受ける。昭和28年(1953)月刊『カメラ』月例第一部(大型印画)の年間1位となる。月例の審査を担当していた土門拳、木村伊兵衛、濱谷浩などの写真家との交流もあった。昭和30年代に入ると仕事との両立が難しくなり、次第にコンテストへの応募をやめ、仕事に専念するようになる。
昭和39年に青森県写真連盟の設立に関わるなど地元写真界での活動は続けていく。昭和40年代東奥日報社写真部長となり、昭和50年代には機械報道部長や弘前支社長などの役職を歴任。昭和63年頃、東奥日報社を退社。青森西南部東奥日報販売(株)取締役社長に就任。平成3年頃、青森西南部東奥日報販売(株)を退社。平成26年(2014)逝去。

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